愛だと

今日は土曜日なので、バスに乗ってスーパー銭湯花ゆづきまで出かけ、帰りにCOOPで買い物して、バスに乗って帰ってくる日だ。

花ゆづき入浴券とソフトドリンク、花ゆづきまでのJRバス往復切符がセットになって900円なのだ。

冬の間は自転車に乗れないので、この花ゆづきセットを買う。バスの中で買うこともできるが、運転手さんに手間を掛けるその煩わしさが嫌なので、アピアのバスチケットセンターでまとめ買いをする。

この路線は1時間とか2時間に1本程度しかない。

従って帰りのバスは、COOPでの買い物を終える時間を見越して風呂からあがる。

今日もそのつもりであったが、レジで想定外に時間を取られ、タッチの差で帰りのバスに乗り遅れてしまったのだ。

リュックいっぱいの買い物を担いで、ツルツル路面を40分くらい掛けて歩いて帰る羽目になった。

歩きながら、ツラツラ考える。

「愛をもって」「愛ある行動を」などと唱える者がいる。

愛を語る者ほど似非な奴はいない。

愛という言葉で愛は語れない、と思うからだ。

愛と云った瞬間に、愛はたちまち胡散臭いものになる。

愛は、それを受け取る者だけが口にすることを許される言葉だ。